母の場合 その①
〜the spring of life 〜
私の母は大阪生まれで
彼女が小学5年のとき、
二歳だった弟が川に溺れて死んで、
中1の時、彼女の母が妊娠中毒症(当時の病名)から来た心臓発作で死んで、
徳島の彼女の祖母の元に預けられた。
その後、
彼女の父親は再婚して
母の元に訪れる事はなかったそうだ。
貧しかったらしく
仕事しながら准看護師になり、
その後
徳島大付属の看護科に通い、正看護師と
助産師、看護教員の資格を取ったんだとか。
彼女の性格からして
むちゃくちゃ
頑張ったんだろうなと伺える。
そんなこんなで
二十代は看護の仕事に邁進していたそうな。
そして、
職場の慰安旅行で
八ヶ岳に登山へ。
宿泊したロッジの山男が私の父で、
母が、逆ナンパしたらしい。
父のビジュアルが可愛かったんだと。
父は母について行く形で山の生活に
終止符を打ったんだけど、結局は
お互い46才の時、離婚した。
見た目の👀❤️❗️❗️✨✨も、
大事だけど相性はそれだけでは測れないと
言う教訓的な出来事として捉えた。
今、八ヶ岳の近くに住んで、彼が大阪弁で喋るから、ふと、両親の事が脳裏によぎった。
ここで
こうして暮らしているのも
なんか意味あるのだろうね。